新・幻聴妄想かるたのこと
ハーモニーでは年内の完成をめざして、あたらしい「かるた」を少しづつ作っています。
新作のカルタの付録の冊子用にメンバーたちの話を聞いています。
今日はミチコさん。
ミチコさんと新澤のご縁は18年になります。
昔のことも聞きたいねと富樫さんと相談したものの当のミチコさんは「そーねえ、忘れちゃったねえ」ということも多し。
特に最初の入院の頃のことは、記憶も曖昧になりがち。
そんなとき強い味方を思い出しました。そうだ!ご主人!
というわけで今日はミチコ家に訪問し、オトウサン(ホントはミチコさんのご主人です)のお話を伺いました。
時間も立つのも忘れて大わらいしながらの2時間でした。
そのなかで、冊子には掲載されないだろうけれど、おもしろかったオトウサンの半生記をご紹介しますね。
オトウサンは山口県の漁師の家に生まれました。
芸事をやったり草競馬の馬を飼ったり、裕福なお宅だったそうです。
しかし、オトウサンの両親は共に重い病気になりその頃は高価だったペニシリンを買うために家財を売り払うことになりました。
そのために中学校にはほとんど通えなかったといいます。
15歳の頃、オトウサンは職安に行き仕事を紹介されました。
山口の宇部といえば有名なセメントの生産地。
宇部から出荷されるセメントを瀬戸内海経由で西日本各地に運ぶ運搬船の船乗りになったのです。
船員は7~8人。これでやっと人並みの生活が出来ると思った矢先、大きな台風が山口を直撃しました。
波に持ち上げられた船は船尾から岩の叩きつけられ座礁してしまいました。周囲では40人くらいの船乗りが亡くなったそうですが、オトウサンの船では幸い犠牲者はいなかったそうです。
そのころは座礁した船からイカリやなんとエンジンなどを盗んでいく窃盗団もいたらしく、船会社はオトウサンともう1人の船員にお金を払って船の番人をさせたそうです。オトウサンと仲間は2ヶ月ほど、座礁した船の中で生活しました。
夜になると近くの島で台風で亡くなった船員たちを荼毘にふす嫌な匂いが漂ってきたそうです。
オトウサンはその後も日本中で様々な仕事をして生き抜いてきたといいます。新潟の飯場にやってきたときには、あまりにも事前に聞いていた条件と違ったので、ストライキをやったりしたそうです。
そして、東京にやってきて32才の時、当時、都庁のエレベーターガールをやっていた25才のミチコさんとお見合いをしたのでした。
結婚後もちょっとばかり命知らずのところもあり、上町(ハーモニーがあるところ)の「飲み屋で喧嘩したら、相手が鉞(まさかり)出してきて驚いたよ」なんておっしゃてました。
鉞(まさかり)ですよ、まさかり!45年前の世田谷の話です。
結婚後、2人の息子さんたちの子育て真っ最中にミチコさんの発病。
家事を1人で切り盛りしながら一家の大黒柱としてのご苦労は並大抵のものではなかったと想像します。
それでも楽天的に乗り切ってきた力強さの背景にはオトウサンの若いときの苦労があったのではないかと。
帰り際、ご長男の結婚式の写真を見せていただきました。ガッチリした彫りの深い好男子のご長男の姿から、若い頃のオトウサンの凛々しい姿を想像してしまいました。
そして、そのご結婚が二人にも何よりもうれしいことだったようです。
当事者それぞれに物語があるのと同じように、家族にもそれぞれの物語があります。
魅力的な当事者の傍には、魅力的な家族や友人たちがいることを、改めて感じた午後でした。
その後のミチコさんとオトウサンのお話は、またカルタの中でも紹介しますね。おたのしみに。
(きょうの後姿はミチコさんと富樫さんでした)
新作のカルタの付録の冊子用にメンバーたちの話を聞いています。
今日はミチコさん。
ミチコさんと新澤のご縁は18年になります。
昔のことも聞きたいねと富樫さんと相談したものの当のミチコさんは「そーねえ、忘れちゃったねえ」ということも多し。
特に最初の入院の頃のことは、記憶も曖昧になりがち。
そんなとき強い味方を思い出しました。そうだ!ご主人!
というわけで今日はミチコ家に訪問し、オトウサン(ホントはミチコさんのご主人です)のお話を伺いました。
時間も立つのも忘れて大わらいしながらの2時間でした。
そのなかで、冊子には掲載されないだろうけれど、おもしろかったオトウサンの半生記をご紹介しますね。
オトウサンは山口県の漁師の家に生まれました。
芸事をやったり草競馬の馬を飼ったり、裕福なお宅だったそうです。
しかし、オトウサンの両親は共に重い病気になりその頃は高価だったペニシリンを買うために家財を売り払うことになりました。
そのために中学校にはほとんど通えなかったといいます。
15歳の頃、オトウサンは職安に行き仕事を紹介されました。
山口の宇部といえば有名なセメントの生産地。
宇部から出荷されるセメントを瀬戸内海経由で西日本各地に運ぶ運搬船の船乗りになったのです。
船員は7~8人。これでやっと人並みの生活が出来ると思った矢先、大きな台風が山口を直撃しました。
波に持ち上げられた船は船尾から岩の叩きつけられ座礁してしまいました。周囲では40人くらいの船乗りが亡くなったそうですが、オトウサンの船では幸い犠牲者はいなかったそうです。
そのころは座礁した船からイカリやなんとエンジンなどを盗んでいく窃盗団もいたらしく、船会社はオトウサンともう1人の船員にお金を払って船の番人をさせたそうです。オトウサンと仲間は2ヶ月ほど、座礁した船の中で生活しました。
夜になると近くの島で台風で亡くなった船員たちを荼毘にふす嫌な匂いが漂ってきたそうです。
オトウサンはその後も日本中で様々な仕事をして生き抜いてきたといいます。新潟の飯場にやってきたときには、あまりにも事前に聞いていた条件と違ったので、ストライキをやったりしたそうです。
そして、東京にやってきて32才の時、当時、都庁のエレベーターガールをやっていた25才のミチコさんとお見合いをしたのでした。
結婚後もちょっとばかり命知らずのところもあり、上町(ハーモニーがあるところ)の「飲み屋で喧嘩したら、相手が鉞(まさかり)出してきて驚いたよ」なんておっしゃてました。
鉞(まさかり)ですよ、まさかり!45年前の世田谷の話です。
結婚後、2人の息子さんたちの子育て真っ最中にミチコさんの発病。
家事を1人で切り盛りしながら一家の大黒柱としてのご苦労は並大抵のものではなかったと想像します。
それでも楽天的に乗り切ってきた力強さの背景にはオトウサンの若いときの苦労があったのではないかと。
帰り際、ご長男の結婚式の写真を見せていただきました。ガッチリした彫りの深い好男子のご長男の姿から、若い頃のオトウサンの凛々しい姿を想像してしまいました。
そして、そのご結婚が二人にも何よりもうれしいことだったようです。
当事者それぞれに物語があるのと同じように、家族にもそれぞれの物語があります。
魅力的な当事者の傍には、魅力的な家族や友人たちがいることを、改めて感じた午後でした。
その後のミチコさんとオトウサンのお話は、またカルタの中でも紹介しますね。おたのしみに。
(きょうの後姿はミチコさんと富樫さんでした)
by harmony_setagaya
| 2013-07-17 23:00
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